PAX ROMANA|FORO ROMANO

 ご注文頂いていた


『PAX ROMANA』 F4号

完成。

作品「PAX ROMANA」F4号

アクリル板の染色のあと、
アクリル絵の具のエアブラシと
蛍光塗料で仕上げました。

暗いところで、ちょっと光るです~~~
新たな試み。(トリックアートになるかも・・・)
o(>▽<)o ウキャキャウキャキャ




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PAX ROMANA(パクス・ロマーナ=ローマの平和)
紀元前後からの約200年間を指し、
なかでも2世紀の5賢帝時代はその最盛期、
ローマ帝国の歴史の中で栄華を極めた時代。

作品に使ったのは、5賢帝の1人、アントニヌス・ピウスが妻の死後建てた神殿です。

アントニヌスさんは隋分穏やかな人だったみたい。

交易などはとても盛んでした。


交易といえば シルクロードは?というと
意外ですが、ローマは陸路は使えなかったはずなんですね。
パルティア(イラン)とずーーっと戦っていましたから。


私がよく題材にしていたFORO ROMANOの凱旋門は
セプティミウスセウェルスがパルティアを落とした時の記念の門ですが
セウェルスが1回落とすものの、その前も後も戦争していました。



だから商団の通った陸地といえば中国→インドまでです。
後は海路だったんですね。セイロンからエジプトの港へ。
エジプトからはナイル川を使ってアレキサンドリア港→地中海へ。
うわ~チュモンソソノの商団を思い出すわあ(笑)



話は脱線ぎみですが゛(6 ̄  ̄)ポリポリ
アントニヌスさんは内政には力を入れ
文化もローマの隅々まで行きとどく工夫をしたようです。
外へ向けての戦争には一度も身を置いていない。
対外的にとても消極的だったので奴隷の労力が減り
結果として国力の低下に繋がってゆくのですね。

中国の後漢書に、ローマの皇帝も登場するんですよ。
たしか、それがアントニヌスさんだったと記憶しています。


ところで・・・
私は子供のころ、日曜学校のサマーキャンプの劇で
ローマ人に迫害された人の役をやったです。

バタリ (o_ _)o ~~~ †



傷だらけになって 舞台の端っこにある作り物のロバさんの背中に
ぐったりと倒れている役だった記憶があります(笑)


PAX ROMANAの時代には
奴隷やキリスト教徒迫害があっての『平和』だったのですね。



FORO ROMANOの遺跡は、大理石が剥がされちゃったむき出しのレンガがほとんど。
剥がされた大理石はバチカンを作るときに使われたといわれています。(専門の大学教授に伺ったところ、確証はないそうです)


ノ( ̄0 ̄;)\オー!!ノー!!!!


もし本当なら
思いっきりキリスト教徒に仇討されたような気がしないでもない。
(このあたりの心情は私の勝手な想像です)







さてさて、それでも一応 PAX ROMANAです。


\( ̄^ ̄)/

(ぜんぜんまとまっておらん?ほっといて。)



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